taitiro

見たり聞いたりしたこと

2010年07月

3

あつい!

  • 7月の始まりでこの暑さってことは、一体8月になったらどんなことになってしまうのだろうか……
  • いやー、にしても最近フジテレビはマツコ・デラックス好きだなぁ。
  • フジテレビといえば、踊る3ってどーなんでしょうかね。映画ファンにはとかく嫌われている踊るシリーズだけど、まぁでも日本にはあの程度の「まがい物」がちょうど良いというか、それで実際僕も含めて楽しめちゃうわけだし。
    • ただ確かに交渉人はちょっとあんまり……(つーかパトレイバーをぱくりすぎ!)だったわけで、それと似たような感じになってたら確かにちょっと避けたい。
  • 最近映画館で見た映画が『ヒーローショー』、『アウト・レイジ』という暴力ものばっかなのは、なんかの深層心理の反映なのだろうか……
    • いやしかしどちらも大変良い映画でした。なんつーか、みんなむしゃくしゃしてるんだけど、そのむしゃくしゃがほんと直接的に周りの人に向かっちゃってるんだろうなぁ。昔だったらそれこそデモ隊に突っ込んでくる警察とかをぶん殴れたわけだけど、今はそういうのないもんねぇ。
      • 「行動する保守運動」とかはそういうものになりつつあるのだろうか。ということは保留。
      • ただ最近の警察の統治技術っていうのはすごいからねぇ。長野での聖火リレーとか、あれだけ双方が血気盛んな中で大規模な衝突なんかが起こらないってことは、秩序の維持という意味ではほんとすごいんだけど、一方でそれだけ警察に「牙」を抜かれているということでもあるんだよなぁ。
  • 「暴力」といえば、すべらない話という番組で何かあったそうで、id:FUKAMACHI氏が記事を書いていた

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20100630

  • -『ヒーローショー』が『ドロップ』への意趣返しとして作られたという話は面白い。あーなるほど、「ひとは簡単に死なねぇ」とかうそぶいていた奴らが実際に殺しちゃう話だもんなあれ。
  • ヒーローショーについては↓の映画評が必見

http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100603/p1

  • -いやしかし、ほんとふとしたところからああいうヒーローショー的世界にもしかしたら自分も墜ちてしまうかもしれないという恐怖は、僕も見ているときにひしひしと感じた。
    • あれがもしほんとに元からヤンキーだった人だけのお話なら、まぁ「痛そうだなー」とかは思いながらも、まぁ他人事のエンターテイメントとして消費できていたと思うんですよ(実際『アウト・レイジ』はそんな風に楽しめたわけだし)。ところがヒーローショーは、「もしかしたら自分もいつかは……」みたいな他人事ではない恐怖をひしひしと感じてしまって、ほんと見てから3日間はうなされましたもん。
    • でもまぁ、だからといって何か生き方を反省したりすることも特にしないわけですが。
  • しかしあついなぁ……と、おそらく自分が「あつさ」を呟くことによって、それよりさらに重要な何かから目をそらしていることに気付きつつ、今日も「あつい!」と僕は呟く。めでたしめでたし。
3

何故ある種のエロゲ好きに白痴が多いのか

「ある種の」というのは、具体的にはid:nakamurabashiと、それに同意したり感動したりしているようなはてブのブックマーカーたちを指しますw

「俺ら」と「AIR」 - G.A.W.

はてなブックマーク - 「俺ら」と「AIR」 - G.A.W.

これだけ長い文をぐだぐだと書きながら、結局言っていることと言ったら「ぼくはかんどうしたからかんどうしたのです。」というような、今時小学生でも書かない感想文であり、知的思惟の痕跡すら感じられない馬鹿しさ。まー端的に白痴と言って良いでしょうね。

何より僕が頭に来るのが、最初に質問者が出している問いでもある「何であんたたたちはそういうキャラが好きなんでしょうか」という問いに対して、散々言葉を弄しながら、結局その質問者という他者に分かるように説明するのではなく、「情念」とか「すべて」なんていう、はなから理解されることを期待していない言葉でもって、自らの感情を確認しているだけという、その不誠実さなんですよ。

別に僕は、明らかにプレーヤーにとって馬鹿に見えるように作られた、そんな白痴ヒロインが好きだとか、あるいは女の子が病気になって死ぬというようなそんなkeyゲーム的シチュエーションが好きだといっても、別にそれだけで非難の対象になるとは思いません。だってそんなこと言ったら僕なんか、主人公を好きであるが故に狂ってしまうようなヤンデレヒロインが大好きだったり、あるいはそれこそそういうヒロインたちが、愛憎の果てに殺し合うような修羅場シチュエーションが大好きだったりするんですから。単純的に倫理的な評価でいうならば、keyゲーム好きより僕の方がよっぽど極悪非道です。

ですが、僕は別にそれが自分の、他人に理解されない「情念」みたいなもんとは全く思ってないわけですよ。むしろ、こんな萌え、別にごく単純で卑小なものであり、それは簡単に、社会的な背景から説明できると思っています(実際そのような作業を、僕は相互理解不可能性としての「狂気」を噛み締めて、それでもコミュニケーションをしていくという記事でしたつもりです)。そして、そのようなことは、絶対泣きゲーとかに萌えている連中にも適用できるはずなんですよ。特にkeyゲームなんて、あれだけ多く売れたんですから、そこに社会的な類型を見いだすのなんか本来はきわめて簡単なはずです。ところが泣きゲーとかが好きなやつらはそういう風に、自らの「萌え」が、一体どういう社会的文脈に基づいているか(例えばABにおいて指摘された「女の幸せ」という言説とか)とか、あるいはせめて、泣きゲーの中のどういう表現がそういう「萌えさせる」機能を持っているかとかいう解釈を全然しようとせず、まるで自分たちの「萌え」が神から与えられた高尚な能力であり、それは決して他人に理解可能な形で説明できないと思っている、その思い上がりが、はっきりいってイライラするわけです。

しかし実際は、むしろこういうイライラするような「自分はそんな社会には還元できないような情念があるからこのエロゲーに萌えるんだ。そしてそんな情念を持つ自分は高尚である!」というような駄文がさんざん繰り返されてきたのが、エロゲ批評の殆どだったりするわけで、このid:nakamurabashiは偉そうに

コメント欄やブコメで触れられているように、そのへんの議論はすでに語りつくされきって枯れた話題でしかない。

なんて言ってますがね、「すでに語り尽くされた」のなら、なんでこういう質問者みたいな質問が絶えることがないのか?答えは簡単。行われたのが他者と理解し合うために行うような「議論」ではなく、ただ自分の「情念」や「思い」を独我的に叫ぶような、クソみたいなことでしかないからですよ。

この記事では、そんなクソの再生産を止めるために、その「クソの再生産」の典型例であるこの記事を、「『物語ではない』という主張の詐術」「個別要素を直視することからの逃げ」「『外の世界』という藁人形」という三段階に分けて分析していきます。そして、その分析から、どうすれば私たちは、id:nakamurabashiの記事のような「白痴によるクソの再生産」を避けながら、作品について語ることが出来るか、考えていきたいと思います。

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