次のようなtogetter(twitterのまとめ)が話題になっていました。
Togetter - 「ニコニコの歌ってみたは『ハイエナに近い』とボカロPが発言。その発言への反応から見えてくる歌ってみた界隈の問題点」
ここで「歌ってみたはハイエナに近い」と言っているボカロPの記事がこちら。
Ohnuma Sound Lab. blog 年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動
端的に内容を要約すると、「自分がつくってボーカロイド曲を勝手に下手な形やリスペクトのない形で改変したりして歌い、その歌ったものを発表したりしないでほしい。自分がそういう目にあったら即刻その動画を権利者削除する」という内容です。
で、これに対して歌ってみたをやっている方から、「音痴は歌うなってことか?」「みんなでニコニコできない」というような批判がなされているというのが、現状みたいです。
ボーカロイドPが「権利者削除」を持ち出すのかぁ……
で、僕にとって衝撃的だったのが、件のボカロPが記事に書いた次の文章なわけです。
しかしあれですね、いつかは大福P名義で有名になるような曲を発表して、ハイエナが出たら即権利者削除とかしてみたいですね。ほんとに憧れですよ、そういうの。
「ボカロで曲を作っている人がそれを言い出すのかぁ……」というのがまぁ最初の正直な印象でした。
今でこそそれこそオリジナル曲が沢山あって著作権的にはなんの問題もないボカロ界隈ですけど、それこそ初音ミクがでた当初は大半が既存の歌のカバーだったわけです。そして多くの人がそうやって既存の曲をカバーしたりすることによって技術を蓄えていった訳です。しかしもしその当時、著作権者側が一致団結して大福Pのように「自分の歌のカバーなんてものは許さない!権利者削除だ!」なんてことをやって全部削除していたら、果たして今のボーカロイドの隆盛はあったのか?MIDIのように消え去ってしまっていたんじゃないの?と、思わざるをえないわけです。
ただまぁ、そういう思いはありますけど、一方で「そんな昔のことは俺は知らないよ。今の俺が不愉快なんだから、それは削除すべきだ!」とおっしゃるならば、それは現行の著作権制度で認められた正当な権利ですから、どうぞ行使してくださいと言うしかありませんね。
「リスペクトのない動画」を全て排除して、果たしてニコニコ文化が成立するの?
しかしじゃあそうやってネット上のクリエイターも「権利者削除」を持ち出すことが、ニコニコ動画やピアプロで常態化したとき、その先そこに一体どんな「文化」がありうるのか?僕は大変不安になったりもするわけです。
なぜなら、ニコニコとかのネット文化の底流にあるものとは、基本的には「パロディ」だと僕は思うわけです。もちろん全くのゼロからオリジナル作品を作るという人もいるでしょう。そしてそういうのが人気を得ることもあるでしょう。しかしそうすればただ「人気がある作品」は存在したとしても、「ブーム」は生まれないわけです。何故か?ネット上のブームっていうのは結局、あるコンテンツがあったときに、それに対してパロディやら二次創作やらが大量に生まれてきたときに、初めて可視化されるからです。
例えば今話題の「エルシャダイ」を例にとってみましょう。あの場合、まず元々のゲームPVが面白かったわけですが
しかしじゃあもしこの動画しかなかったらここまでブームになっていたかといえば、少なくともニコニコ動画ではそれはありえないわけで、この動画を発端として、下記のように様々なパロディがつくられることにより、初めてブームが生み出されるわけなのです。
このようなことは、ニコニコ動画で流行する様々なものについても言えます。一つの動画だけでブームが発生するなんていうことは基本的にありえず、ある一つコンテンツに対し、様々な二次創作が生まれ、そしてその二次創作同士と原作がタグ機能などによって繋がりネットワークが生まれる、そしてそのネットワークに乗って人々は一つの動画から様々な動画を見て、それらが「ブーム」になるわけです。「エルシャダイ」に限らず、例えばちょうど今ニコニコ動画のランキングを見てみると「【侵略!イカ娘】 早苗の変態行為をシティーハンターのED風にしてみた」、「福田首相辞任 をシティーハンターのエンディングにしてみた 【GET WILD】」「シティーハンター史上最も素晴らしいエンディング導入回【Getwild】」、「学校で配られたDVDをシティーハンターのED風にしてみた」なんていう風に何故かGET WILDが流行っていたり、「危険な黒子」、「危険なあやせたん」みたいに危険な○○シリーズ(スーパーマリオRPGの楽曲「対武器ボス戦」を使用したMAD動画につけられるタグ※ニコニコ大百科)が流行っていたりと、様々なブームはみんなそのような構造を持っているわけです。
そしてこのような二次創作の中には、当然リスペクトやらがあるものもあれば、ないものもあるわけです。というか、ぶっちゃけて言うならばその殆どは大福Pが言うように毎回毎回説明文に「今回は感動して、○○を〜」とかタイトルに「感動して」という言葉を入れたりしてはいるけれど、本当にそうなのか、疑わしいものばかりです。あるいは、そもそも政治系のMADや、GUN道、オンドゥル語、チャー研、そしてミツバチ(遊助)みたいに、そのもののひどさを哂うような二次創作もあるわけです。そして、KYMやデスノMADみたいに、二次創作が権利者に嫌われてしまうことも少なくありません。
しかし、じゃあこういうブームを「権利者へのリスペクトが足りない」という点で、全て潰したとして、それでニコニコ動画や、その周辺のピアプロやらを含めたニコニコ文化が面白くなるのか?「私の権利者削除は許されるけど、他の権利者削除は許されない」なんて道理は、当たり前ですが通りません。
ニコニコ文化の進む二つの道―閉じた村社会か、開かれたネットワークか
そのようなことを考えた上で、大福Pのような主張を人々が認めるかどうか、あらためて考えて見たいと思います。そしてそのために、大福Pのような主張が認められる未来と認められない未来、二つを想定して比較してみましょう。
大福Pのような主張が認められる未来
まず、今までのようなニコニコ動画のブームはほとんど現れなくなるでしょう。原作者が常に「リスペクトがあるかどうか」なんていうのを見張り、なければ有無を言わさず即刻削除するような所で、二次制作の動画を作る人はそんなに多く現れないでしょう。
「歌ってみた」について言うならば、まぁミリしらや替え歌みたいなものはなくなるでしょうが、ただそのまま歌ってみているだけの動画は残るかもしれません(それって一番つまんないと僕なんかは思うんだけどねー)。しかしそれにしても、それこそ「歌う前にメールできちんとお願いのメールを千文字以上書き、それに承諾を頂いたら歌える。ただし歌った動画の説明文には三行以上お礼を書くこと」みたいな変なローカルルールが生まれるかもしれません。
そして段々と、原作者を中心にその原作者を崇め奉るような閉鎖的な内輪向けコミュニティが生まれてくるでしょう。だってそういうコミュニティを作ってしまうのが、リスペクトとやらを認めてもらう側にとってはてっとり早いですから。そしてそのなかでは原作者への賞賛の意見しか耳に入らず、例え明らかにおかしい曲が生まれても、今のニコニコならまだそういうものを笑える文化がありますが、それがなくなった大福Pの理想とする未来では決してそういうことはできなくなりますから、外から見た動画のクオリティも低下していきます。
そのような閉鎖的なコミュニティが乱立し、内輪向けの動画が量産され、そして人々は一つのコミュニティに閉じこもり、他のコミュニティに一切興味なんかしめさなくなる。前にリア充化するニコニコ動画という記事でこのような悲観的未来像を僕は予想しましたが、大福Pの発言が支持を集めているtogetterなんかを見る限り、それは正しいっぽいですね……
大福Pのような主張が認められない未来
一方でtogetterには大福Pのような意見に反対し、ミリ知らや歌ってみたを擁護する意見もあります。僕としては、このようなものこそ本来の「ニコニコ的精神」ではないかと思ったりするわけです。
ニコニコ的精神とは何か。それはつまり、大福Pのような「原作者絶対主義」ではなく「ネットワーク絶対主義」です。ある動画や曲それ自体が重要なのではなく、その動画や曲を中心とするネットワークを重要視する立場。そしてそのネットワークで、より多種多様な異物が自由に繋がっていくことを賞賛する立場です。
当然その中には原作者が不快なものも含まれるでしょう。ですが、もしそれが万人にとって不快なものならば、そんな動画や曲だれも見るわけないんですよね。しかしもしそれが人気を得るとしたら、それは、「その原作者が不快なことでも、快と思う人がいる」ということなのです。僕は「みんなでニコニコすればみんなが無条件に幸せになる」という極端な楽観主義はとりません。誰かが笑う上には誰かの涙がある。これは世の常です。しかしその上で、じゃあ誰も笑ったり怒ったりしない社会と、誰もが怒ったり悲しんだりすることがあるけど、その分笑える社会のどちらがいいかと言われれば、僕は後者を選択したいのです。
そして、そのように多種多様なものが認められる中でこそ、本当に非道いものは淘汰されていきます。だって、非道いものがあったら、それとは違う種類のものを選べば良いだけですから。ダメなミリしらと良い原曲があったら、当然人々は良い原曲の方を選ぶわけです。まぁ逆に言えば、ダメな原曲と良いミリしらがあれば、良いミリしらの方に人は集まってしまうわけですが(笑)。
逆に、大福Pが求めるような閉鎖的な文化の中でこそ、こそこそと誹謗的な替え歌や侮辱的なミリ知らが行われ、そしてそれが淘汰されず残っていくと言えるでしょう。学校裏サイトみたいなものです。閉鎖的に、それぞれのコミュニティの敷居が高くなればなるほど、そこでのコミュニケーションは陰湿化していくんです。
そしてそのような多種多様な異物がネットワークを形成することにより、そこでは今までなかった新しい文化が生まれます。例えばひとつの動画が人気を得ているだけではそこでは新しいものは何も生まれません。しかしそこで二次創作が生まれていき、さらにその中で、他の動画のネタも取り入れたハイブリット文化な動画か生まれる。例えば、先程の「エルシャダイ」と「危険な○○シリーズ」を組み合わせてこんなものが生まれたり……
(余談を述べさせてもらうならば、僕がいまいちボカロを好きになれない理由っていうのは、こういうハイブリット性や異物を取り込む力っていうのがどーも感じられないからなんですね。だからこそ、それこそ「青春」やら「恋愛」やらといった誰もが共感する、元から自分の中にあるようなテーマが多くなる。でも、僕はそれよりももっと今まで自分が見たことのない、予想できないような、そんなものが欲しいのだ)
まとめ
- ボカロPが二次創作を批判するとか、なんか過去への敬意を忘れてない?
- それは置いとくとしても、大福Pの理想はいろんな意味でニコニコ動画をつまらなくしそうだよ
- リスペクトとかを言い出したら面白い動画はほとんど作られなくなる
- そして更に閉鎖的なコミュニティがどんどん生まれ、人々は分断されていく
- そしてその中で陰湿なコミュニケーションが繰り広げられる
- 誰もがリスペクトとか気にせず自由に動画を作ったりできるニコニコ動画だからこそ、面白い動画が生まれるんじゃないかなぁ
最後に
この大福Pはミリしらが大嫌いなそうですが、僕はミリしらが大好きです。
といっても、曲のミリ知らとかはあまり知らなくて(それでも見つけたら結構聞くほう)、アニメの方のミリしらをよく見ている方です。
特に元祖ミリしらであるひぐらしミリしらは大好きなんですよね。
まぁこのミリしらも、ほんと原作信者とかが見たら怒るんだろうなーというのはよく分かるんですよ。リスペクトのあるなしはよく分かりませんが、それこそ削除されても文句は言えないのかもしれない。
でも、面白いのは事実なんです。少なくとも僕にとっては。「ミリしら」というものが、今は削除されているにしても、当時お目こぼしされていたことによって、こんな面白いものが生まれました。
ただ、こういう面白さはだめであり、原作者にリスペクトのある面白さしか正しい「面白さ」ではないと多くの人が思うのでしたら、きっとこういう面白さはもう生まれないし、大福Pのような人間が理想とする世界ができるのでしょう。
そして僕は、また一つ世界がつまらなくなったなと、思うことになるのでしょう。
Comment
リンレン発売当時から細々とボカロPを続けてる身としては正直、彼の発言に空いた口が塞がりませんでした。
大福さんとは、引退宣言を繰り返されTwitterアカウント削除を繰り返される前までは、相互フォローもさせていただいていた間柄でした。その頃から上昇志向のお強い方で、にも拘らず認められない自分の現状に悩んでらっしゃいましたが、、その行き着いた先が自己を研鑽する事ではなく、このように他者を攻撃する手段である事が残念で仕方ありません。
http://storatic.blog111.fc2.com/blog-entry-2.html
お暇な時間にでも目を通していただければ、と思います。
今回大福さんがこのような記事を書いたのは、ニコニコ全体におけることではなく、自分自身を含めて「このように思っている人たちの意思を尊重して欲しい」ということだと思うのです。
そして、歌い手全体をむやみに攻撃しているのではなく、「心無い歌い手」に対してであると思います。
また、最初に意見を述べられている記事の後に誤解させてしまった部分があったとして、訂正されている記事も書かれていますので、コメント残されている方もそちらを見て頂ければ、と思いました。
追記、toggetter含め全て拝見させていただいた上でのコメントです。私が記述している部分についてはむしろあの追記で補強されてしまった感さえありますよ。
それをニコニコ全体にまで持っていくのは話を広げすぎです。彼はそんなことまで言っていない。
MAD文化と歌ってみた文化を同列に語るのも無理があります。権利者の姿がぜんぜん違う。
それを簡単に「大福Pのような主張が認められる未来」として一つにまとめることなんて出来ない。
「大福Pのような主張が〜ような未来」と結論付けるのならボカロや歌ってみたのみに留めてください。
どっかの歌い手が「アナザー」とかつけた替え歌やってたときも思ったのですが、歌い手って実はボカロPに喧嘩売ってるんじゃないかと思うことが結構あります。
本当にいい歌詞だと思うなら、本当にいいメロディだと思うなら、それを大事にするはずなんです。
そういうことをせずに、曲名だけそのままに、歌詞やメロディをすっかり変えて、あたかも「俺もアーティスト!」みたいな顔でアップされると言うのは、作詞者・作曲者に対する一種の冒涜ではないでしょうか?
「アナザー」も「ミリしら」も、結局は「ハイエナシリーズ」とでも名付ければいいんですよ。
原詩・原曲を作った人たちの努力の結晶を、横からハイエナしていくんです。
大体「ボカロ曲を歌ってみた」という界隈そのものがハイエナに近い部分もあります。
---以上引用
---以下引用
意図的にアレンジをすることを同列に扱ってはいけない事です。
また、この書き方では本来曲を殺すアレンジに対しての言葉である「消せ」というのが、音痴であることに対してもかぶってしまいます。
---以上引用
大福さんのblog記事からの引用です。
これは決して歌ってみた界隈限定の話には収まりません。
ボカロでカバーを作ったり、アナザーを作ったり替え歌を作って発表しているる人も大勢いらっしゃいます。
それら全ての人を含めて、彼は否定してるんですよ。
そうでしたか、余計なことを書いてしまいすみませんでした。
創作・派生が自由に出来てそれで楽しめるのがニコニコだと思うのですが、自分の作ったものが変に使われて嫌悪感を抱いても、皆ガマンしてるんだからお前もしなきゃダメだ、っていうのはどうかなと思います。
ルールを作りたい人がいる以上、それに従わずにやるのは自由ではなく無法です。
そもそも「皆で楽しむ」の皆が「自分にとって都合の良い人達」になってしまっている気さえします。
あと行き着いた先が他者を攻撃する、というのは流石に言い過ぎかと。
4番さんの言われる通り、言及はボーカロイドと歌ってみたのみに留まっていると思います。
「アナザー」や「ミリしら」については曲を曲としてではなく、「上っ面だけ拾った一つのネタ」として取り扱っている事に批判をしているわけで、派生動画全てを否定しているというのは読み違いではないでしょうか。
>皆ガマンしてるんだからお前もしなきゃダメだ
これはそのまま裏返せますよ
「俺達が嫌悪感を抱いてるんだからそれを優先しろ。お前らは楽しみを我慢しろ」
これは通らないってお話です。
>一つのネタ
アニメや一般流通の曲はニコニコでネタとして扱われますよね。
どうしてPが作った曲だけが特別にネタとして扱われてはいけないって話になるんでしょう?
追記
ハイエナだの、曲を殺すだのという表現が攻撃でないと思われるなら
少し感覚が麻痺してらっしゃるんじゃないでしょうか?
そういった人物は攻撃されて然るべきです。
Pが黙っていなければならない理由はありません。
>>きゃしゃんP様
ブログを拝見しましたが、Pによるボカロによるのカバーを否定するような発言はなされていないように思えます。
それと、替え歌やアナザーは立派な歌ってみただと思いますよ
それはそれとして、皆さんの意見(こちらのブログ内容も含めて)が両極端な事にはどうも落ち着きません。
ニコニコ動画は他人の著作権に乗じたした二次創作(それが愛ある形かリスペクトがあるかはさておき)作品が多数あるわけですが、大抵はプロの作品を素人がパロディするという状態です。素人の作品を素人がパロディするというのとは、ネタとして消費される覚悟がまた違ってくるのも事実でしょうし、特に初音ミク界隈は作者と、受け手(後の二次創作者)が近しいところから、今回の様な軋轢も視覚化されやすく問題になっているのだと感じます。
プロと同じ意識(パロディされても泣き言いうな)を素人に求めるというのも酷に思える部分はありますし、また、素人がプロと同様の権利を公使したがる(それもその個人ではプロの著作権に乗じているというのに)のも嫌な気分がしますし、複雑なところです。
ブログ作者さんが仰る「皆がニコニコする」為やニコニコ動画というものの多様性を考えるなら、最終的には当記事にあるネットワーク主義の在り方に流れていくしかないと思いながら、その多様性によって「不満」を形にした大福Pの意見をも同様に受け入れていかねばならない、と感じます。その上で時にはどちらかに傾きつつも、揺れ動きながら両極に傾きすぎる事なくバランスをとっていくしかないのでは、と思います。それが真の多様性だと思います。
例え表面上ボカロについて言及されてなくても、彼のやり方、言ってる事は結果的にすべてのつたないボカロカバーやボカロによる替え歌、アナザー。ひいてはMADを否定してるんです。
そこまで過激ですかねww
-- 以下引用 --
よく読んでもらえば分かる事だとは思いますが、私が今回問題だと言ったのは「ミリしら」「アナザー」「敬意無き歌ってみた」のことなんですよね。
--引用ここまで-- ( http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html )
お前さんは「たないボカロカバーやボカロによる替え歌、アナザー。ひいてはMAD」すべてが「敬意無き」だと言っているのかい?
お前さんの方が失礼だよ馬鹿
慇懃無礼がまかりとおるぞ
アップロード禁止のはずのアニメを使ったMADが横行してるニコニコに投稿した時点で、カバーするな無断使用するななんて理屈が通りますか(ピアプロの無断使用はひどいと思いますが)。
管理人さんも言及されてますが、今までにも元ネタへのリスペクトがないにも関わらず流行したネタがいくつもありましたが、それらは排斥されていません。
内輪がネタになった時だけリスペクトがないと許さないという理屈はちょっと理解しかねます。
「当初」がどこからどこまでを指すのか分からないですけれど、週刊VOCALOIDランキングの統計から推察すると、「大半」と言えるほどに既存曲のカバーが多かったとは言えないのではと。
グラフで見る週刊VOCALOIDランキングと初音ミクの自己言及曲
http://d.hatena.ne.jp/xaby_bokasachi/20081214/1229212278
そしてMIDI文化衰退の反省から、投稿者も視聴者も、当初からオリジナル曲への志向は高かったと私自身も記憶しています。
すなわちVOCALOID界隈は二次創作文化圏というより、最初から一次創作文化の傾向が強かったと思われるので、過去への敬意うんぬんというのは今ひとつ首肯できません。見えている世界が違うようです。
おっしゃってることがよくわかりません。
>私が今回問題だと言ったのは「ミリしら」「アナザー」「敬意無き歌ってみた」のことなんですよね。
「敬意無き」は「歌ってみた」にしかかかっておらず、「ミリしら」「アナザー」はとは独立しています。
つまり大福さんは「ミリしら」「アナザー」においては、存在そのものに「敬意がない」と主張してらっしゃるんですが。
彼らが大会議で祭り上げられていることも原因でしょうが、他者への礼を欠いている歌い手さんたちも少なくありません。
かわんごさんが言及しているんで、いずれニコニコ運営も見るだろうと想定して書きますが、、
どこかで歌い手さんたちの心の引き締めを図ってもらいたいです。
Fooさん、理想はGacktさんか松岡さんあたりに、プロとしての心構えを解いてもらえれば、彼らも、悪気があるわけではないと思うので、変わっていくと思います。普通の音楽事務所や芸能事務所だと、マネージャーが教育をするんですが、多くの歌い手さんたちにはそういう環境がありませんからね。
警察沙汰になる前に、キチンとした教育をしてもらいたいところです。
・無断オケ作成による歌ってみたや、原曲の知名度"のみ"を狙ったミリしらで「※ただしイケメンに限る」をやっている奴
・歌ってみたを許諾しない、オケを作成公開しない方針の作曲者を「こいつ潰そうぜ」と言い出すキチガイ
・原曲動画を信者が(主として罵倒と教祖の宣伝目的で)荒らし回り、それを黙認する歌い手やミリしら作者
この辺りのことだと思うけど、あなたはそれらを擁護するってことでいいの?
あと、他の人も指摘しているけどボカロ界隈が無許諾を含むカバー主流で始まったなんて事実はありません。
ある程度、客観的な統計資料として各種VOCALOIDランキング(日刊でも週刊でも月刊でも結構)の初期動画を御覧ください。
空気や明るい未来とやらのために他人の口を塞ごうとするのだけはNGな。
はてブからきました。
私自身ボカロブームっていうのがある意味すごいことだと思っておりますが、
本当に世の中は、ボカロブームなんでしょうか?
ニコニコだけ?ネットだけ?そんな感じがします。
また文化を長く続くのは、そこにビジネスモデルがあるかどうかにかかっていると思っており、
ニコニコ?以外に流すとすれば、やはり著作権をしっかり明記していかないと、
企業もあまり相手をしないし、勝手に使われたりしてしまう。
ニコニコだけじゃなくてもう少し広げて考えてみては?
できれば有名になりそうな人をどんどん視聴者側が応援して、
ほかのメディアに輩出できるようなニコニコにあってくれるとうれしいですけどね・・・
あのryoさんですらデビュー曲はカバーだし、まさかボカロカテゴリ名乗りながら、わPのアリアや、はちゅねを一躍有名にした「Ievan Polkka」、レンの「鳥の歌」を知らないってことはないよね?
面白ければいいんでしょ?誰かが傷ついても笑ってる奴らがいれば許される世の中
恐ろしいですね
知名度の問題じゃない。単純にVOCALOID楽曲の動画投稿数における既存曲のカバーが占める割合で見るのが筋でしょう。
sh氏が紹介している記事や当時の各種VOCALOIDランキング動画、ブログを追っていけば分かりますよ。
自分の肌感覚でも少なくとも2008年後期以降は処女作にオリジナル曲を投稿するPが主流派ですよ。
「恋は洗脳ツアー」のようなVOCALOID→VOCALOIDカバーで参入したPを数に含めなければ更に増えます。
「夜の女王のアリア」だの何だの話題性があった動画だけ挙げて「ほら!」なんてやられてもね…
これが間違ってね?
むしろ、元ネタに何の感情を抱かないような人が作ったパロディは
ちっとも面白くないと思うんだが。
だって、人のネタの上に自分のネタを積んで、より高くするのがパロディだもの。
元のネタを理解してない、する気もなかったら、上に積むことが出来ない。
それがリスペクトの産物か悪意の産物か、深い理解の上に成り立ったものか、無知によるものかは完全にケースバイケース。
そういう無責任さというか、自分が作ったものを誰にどういじられるかわからないカオスさがなくなったら、
別にニコニコでやる意味はないんじゃないの、と思う。
>「当初」がどこからどこまでを指すのか分からないですけれど、週刊VOCALOIDランキングの統計から推察すると、「大半」と言えるほどに既存曲のカバーが多かったとは言えないのではと。
とりあえずミク発売前(MEIKO、KAITOの頃)はほぼカバーのみだった。
その頃からMEIKO/KAITO使いのコミュニティはニコニコ掲示板にあって情報交換がされてたし、
あそこでアイマスカバーやってた人のデータ公開は、
最初期のMEIKO/KAITO/ミク使いに少なからず影響があった。
ワンカップPやIevan Polkka知らないやつが偉そうにボカロの歴史語るとか、語るに落ちてるねww
大体ボカロの盛り上がりは投稿者の数じゃねえだろ
P全体の数パーセントが再生に8割近く持って行ってる界隈で何馬鹿なこと言ってんだかww
>>大体ボカロの盛り上がりは投稿者の数じゃねえだろ
盛り上がりの話をしていません。--さんの「界隈はというかPはカバーから入る人が多い」という話への反論です。
仮に上澄みの殿堂入り経験者に限った話でも、統計を取れば恐らくオリジナルから始めた人の方が多いと思います。
>ニコニコから
>>とりあえずミク発売前(MEIKO、KAITOの頃)はほぼカバーのみだった。
なるほど、その時期のことは明るくありませんので初めて知りました。
shさん紹介の統計では2007年9月時点でオリジナル曲の割合が50%を超えているので、それ以前でしょうか。
あなたから見て、ブログ主の「初音ミクがでた当初は大半が既存の歌のカバーだった」という事実はおありでしょうか。
初音ミクの発売が2007年8月31日ですが、同統計からはオリジナル曲の割合が右肩上がりに急増しているように見えます。
それまでは、現行著作権法の是非がまず先の話だろうに。
消すも残すも著作権者の意思次第で、外野が偉そうに講釈する事じゃねぇし。
赤の他人が「好き勝手に弄り回して流行らせてやるから著作権を放棄しろ」とか、ふざけてるんじゃない。
ボカロだろうがMADだろうが、プレイ動画だろうが、全部一緒。
あくまで著作権者の「お目こぼし」の下に存在できるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
本来著作権者が持ち得る権利にも関らず、「行使することが悪」という空気を作って権利の行使を縛るとか何様だよ?
それも、主張するのは決まって権利侵害者やその利益享受者で、ことさらそれが公益であるとばかりにのたまいやがる。
だから「ハイエナ」とか呼ばれるんだよ。
こういうのは、ばれたり怒られたりしたらそれまでの世界だろうが。
それでもお目こぼしを願って、幾ばくかのリスペクトを込めて作るのが二次創作だろうがよ。
週間ランキングの推移持ち出して「盛り上がりの話じゃない(キリッ)」って何の冗談だおい?w
まさかボカロ始めたばかりの初心者が全員プロレベルで、すぐランキングに乗るとでも思ってんの?
いや、そういう上っ面だけしか目を向けないで判断しているからでしょう。
あの法律がそもそも何で作られたか考えれば、簡単にこんなことは言えない筈だ
恣意的でかつ悪意のある比較の仕方に見える。
お前みたいなタイプには話が通じないと思う
だから一言だけ贈るよ。
〇んじまえカスが
ニコニコから出てけ糞ファッキン野郎。
本当は歌ってみた諸々は許される行為ではない、んだがニコニコでその考えは通用しないのが現状
そもそもネットがそういうものなんだが
既存の権利のとらえかたじゃもはや今の創作活動に対応できないのが事実
それはさておき
自分の主張を正直に述べるのは悪いことじゃないんだから別にここまで悪意の篭った比較をする必要は無いんでないかい
無許可でうpして原作者に文句言われたら削除する
それでいいじゃないの
記事中に
誰かが笑う上には誰かの涙がある。
ってあるけど、原作者が涙するのはおかしいでしょ
皆に喜んでもらおうとして似顔絵描いたらヒゲ描かれて笑いものにされました。
私(原作者)は嫌だと言ってるけど、
ヒゲ描いた人(2次製作者)の絵の方がニコニコできるからって皆が言うので
泣く泣く承認させられました。
(↑ネットワーク絶対主義)
こんな例でおk?
これは幼稚なイジメですねー(笑)
歌ってみた=ハイエナ
ってのも訳わかんないけど、
ネットワーク絶対主義
とかそれすら超越してますねw
原作者を蔑ろにして持ち上がった文化に
価値があるとでも思ってるのかな?
既存曲→ボカロカバー と
原作→2次創作 の大きな差だね
ただ面白いだけで、原作者を蔑ろにする2次創作は、全くの無価値。
それを分からないのかねぇ・・・
そして僕は、また一つ世界がつまらなくなったなと、思うことになるのでしょう。
とにかくこれに尽きるだろうね
まぁまだ精神が未熟な若者が中心だから仕方ないといえば仕方ないけど
結局、まあ、ボカロP様の話に限ってしまいますが、視聴者に対しどうゆう反応を期待して作品を投稿しているのか、意思を表示して作品を投稿することを義務付けないとこうゆういざこざは無くならないのでは?と、思います。
P様にも人の数だけ様々な想いがありますのでそれを尊重した上で歌ってみたやアレンジをやっていけるような場所を整えないといけない・・・のかなあ?とか、あまりまとまらないです。
歌ってみたから原曲が流行って、嬉しく思うP様もいるかもしれませんし、不快に思うP様も勿論いるはずです。
最近は歌い手様のオリジナル曲が出ていますが、逆にそれをP様が勝手にカバーしちゃう可能性だってあります。
そういうのがイヤだと思うのなら、お互い、意思を表示し、それを尊重して活動するしかないのでしょうか?
この意見は自分でも縛りじゃないのか?と、思うのですが、あまりにもヒドイのならこうするしかないし、こうなるんじゃないか?と、予想しています。
いずれにせよ難しい問題だと思います。
私が大福Pのブログとこのエントリを読んで思ったのは
・ニコニコがグレーな作品を受け入れる傾向にあり、それによって発展してきたことは事実。
グレーな作品の投稿を否定することは難しい。
・しかし大福Pのような意見が出ることに対して、「ニコニコはグレーな作品でも楽しむ気質ができているんだからガタガタ言うな」とはねつけるのはおかしい。グレーな作品をアップロードする、あるいは視聴して楽しむ時には、グレーな作品故に批判されることを覚悟した上でしなければならない
、ということです。
今回のボカロ-歌い手の問題で言えば、こうなると思います。
・歌い手がボカロ曲を歌う・アレンジする・ミリしらやアナザーで自分なりの表現をすることは(権利上はともかく、ニコニコ動画の気質としては)歌い手の自由だ。
・しかし、それらを投稿するにあたり、歌い手は「元の曲への冒涜だ」「有名曲を利用したハイエナ行為だ」といった非難を受けること、元の曲の製作者の怒りを買うことを覚悟しておかなければならない。これは、元曲に感銘を受けたから歌ったという人も、有名曲だから利用したという人も同様である。
一つの意見として、目を通して頂ければ幸いです。
つまり、作り手がリスペクトされない状況の中で、果たしてこれからどうやって作り手が創作意欲を維持していくのか?
ということです。
そもそも著作権法だって、クリエイターが創作意欲をなくすことで文化が衰退していかないためにつくられているわけですから。
当然、現状が続けば、自分が汗水垂らしてつくったものを笑い者にされてもニコニコしていられるクリエイターだけが生き残っていくでしょう。
でも、それがイヤだという人が持っている才能は、無視されていくことになります。
僕は、二次創作ブームが長期に続いていくようだと、それ自体がアマチュアクリエイターの質の低下、文化の衰退へとつながっていく、と思考えています。
質の高いオリジナル作品より、質の低いパロディの方が受けがよい現状があるわけですから。
作り手受け手双方が、本物のクオリティとオリジナリティを求める文化に早くシフトしていかないと、映像、音楽その他のアマチュア文化は、深刻な状況へ向かっていくと、僕は思っています。
『見たくないものを見ずにすむシステム』
が必要なんだわな。
今のニコ動は、見たいものをピックアップする機能(不十分だが)こそあれ、
見たくないものをシャットアウトする機能に乏しいから…
そもそも、ボカロ曲は何十万と存在します。
ニコニコ動画も終わりだわ
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