なんか話題になっているそうで
なんか身近の一見頭の良さそうな人にも結構この種の話に引っかかって「子ども手当はダメだ!」みたいなことを言っている人がいて、苦笑しつつあるんですが、まず事実確認として、この記事は「できなかった」ということがまず事実としてあります。ですからまず事実として「子ども手当が不正に申請され、それが受理された事例」というのは一件もないということをおさえておきましょう。
で、その上でこの記事は
同省は今月6日、ホームページに「50人の孤児と養子縁組をした外国人には支給しない」と記したものの、根拠は「社会通念」とあいまいだ。何人以上なら不支給という明確な基準はなく、同様の申請が各地で続発しかねない状況となっている。
という記者の見解を書いているわけです(事実と意見・見解を分けるのは文章を読むときの初歩ですよ?)。ではこの見解について調べていきましょう。
子ども手当について厚労省のホームページでどう説明されているか。PDFではこう説明されてます。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/osirase/dl/100402-1s.pdf
母国で50人の孤児と養子縁組を行った外国人にも子ども手当は支給されますか。
母国で50人の孤児と養子縁組を行った外国人については、支給要件を満たしませんので、子ども手当は支給されません。
・ 子ども手当については、児童手当の場合と同様に、父又は母が子どもを監護し、かつ生計を同じくすること等が支給要件となっており、支給要件に該当することについて個別に市町村の認定を受ける必要があります。
・ 「監護」とは、養育者が子どもの生活について通常必要とされる監督や保護を行っていると、社会通念上考えられる主観的意思と客観的事実が認められることとなっており、養育者と子どもの間で定期的に面接、連絡が行われている必要があります。 また、「生計を同じくする」とは、子どもと親の間に生活の一体性があるということです。基本的には子どもと親が同居していることで認められます。しかしながら、勤務、修学等の事情により子どもと親が別居する場合には、従前は同居しているという事案が確認できるとともに、生活費等の送金が継続的に行われ、別居の事由が消滅したときは再び同居すると認められる必要があります。 子ども手当の実施に当たっては、このような支給要件について確認を厳格化するなど、運用面の強化を図ることとしました。上記の支給要件に照らせば、ご指摘のような事案については、支給要件を満たしません。
なお、僕がこのページを見つけたのは必死になって厚労省のページを探したから……ではなく、普段読んでいる情報の海の漂流者さんというブログの子ども手当は養子50人の外国人には支給されないうんぬんについてのメモという記事からもってきました(というか今書いているこの記事自体、情報の海の漂流者さんの記事を丸パクリしているようなものですので、そっち読んでもらった方が多分早いですね)。このブログはなかなか巷で言われる噂や疑惑などについて丁寧に検証していってくれるサイトなので、是非RSSリーダーにでも入れるかして定期購読することをお勧めしますよん。
さて、なるほど確かPDFには「社会通念」という言葉が出てきますね。ただ、なーんか印象としてはただ「社会通念」だけで判断すると書かれるのと、
「監護」とは、養育者が子どもの生活について通常必要とされる監督や保護を行っていると、社会通念上考えられる主観的意思と客観的事実が認められることとなっており、養育者と子どもの間で定期的に面接、連絡が行われている必要があります。 また、「生計を同じくする」とは、子どもと親の間に生活の一体性があるということです。基本的には子どもと親が同居していることで認められます。しかしながら、勤務、修学等の事情により子どもと親が別居する場合には、従前は同居しているという事案が確認できるとともに、生活費等の送金が継続的に行われ、別居の事由が消滅したときは再び同居すると認められる必要があります。
と書かれるのは印象が違うというか、「そんなにあいまいかなぁ」と思ってしまったりもしますが。
しかし実は、重要なのはこの文章の前の
子ども手当は在日外国人の子どもが海外に居住する場合にも支給されるのですか。
という文章なのですね。これについて厚労省はこう説明しています。
児童手当では、過去30年間にわたり、日本人の海外に居住する子どもと同様、在日外国人の子どもが海外に居住する場合にも支給されておりました。
平成22年度の子ども手当においては、その支給要件を踏襲しましたが、その確認の厳格化を図りました。
また、平成23年度以降の子ども手当については、子どもにも日本国内居住要件を課すことを検討します。
児童手当制度においては、1981年の「難民の地位に関する条約」の加入に当たり、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」の趣旨も踏まえ、他の国内関係法と同様、国籍要件を撤廃しました。それ以来、国籍にかかわらず、親等が日本国内に居住している場合には、その子について監護が行われ、かつ、生計を同じくしているという支給要件に該当するときは、その子が国外に居住していても、支給対象となっています。
平成22年度の子ども手当については、このように1981年以来約30年間にわたり実施してきた児童手当の支給事務の仕組みを踏襲して実施することとしていますが、子どもが国外に居住する場合については、支給要件の確認の厳格化など、地方公共団体と連携を図り、以下のような運用面での強化を図っています。
・少なくとも年2回以上子どもと面会が行われていること。
・親と子どもの間で生活費、学資金等の送金が概ね4ヶ月に1度は継続的に行われていること。
来日前は親と子どもが同居していたことを居住証明書等により確認すること。
・これらの支給要件への適合性を判断するために、提出を求める証明書類について統一化。
・日本国内に居住している翻訳者による日本語の翻訳書の添付を求め、その者の署名、押印及び連絡先の記載を求めること。
なお、国外に居住している子どもに手当が支給されることについては、平成23年度に向けた制度の検討の中で、支給対象となる子どもに日本国内居住要件を課すことを検討します。
特に重要な部分を抜き書きします。
児童手当では、過去30年間にわたり、日本人の海外に居住する子どもと同様、在日外国人の子どもが海外に居住する場合にも支給されておりました。
つまり、別にこれまでだって在日外国人の方の海外に居住する子どもには「児童手当」というものが与えられていたんですね。
ちなみに、児童手当というのはどんなものだったか。↓のサイトによれば
http://allabout.co.jp/finance/gc/18731/
現在の児童手当は、小学校修了前の子どもに対し、3歳未満の場合一律1万円、3歳以上の場合は、第3子以降は1万円、それ以外は5,000円が毎月支給されるもので、世帯の所得制限があります。「子ども手当て」は、所得制限もなく、児童手当よりも支給期間が長く、金額も大きいので、児童手当廃止といっても損する人はいません。
ということだそうで、ざっくり言えば、「所得制限があって、子どもが小さい頃にもらえたもの」です。
しかし、こういう制度は運営されていましたが、架空申請が受理されて問題になったケースって聞きませんよねぇ?
そして更に、児童手当に対し子ども手当は以下のように支給要件が厳格化されているそうです。
平成22年度の子ども手当においては、その支給要件を踏襲しましたが、その確認の厳格化を図りました。
子どもが国外に居住する場合については、支給要件の確認の厳格化など、地方公共団体と連携を図り、以下のような運用面での強化を図っています。
・少なくとも年2回以上子どもと面会が行われていること。
・親と子どもの間で生活費、学資金等の送金が概ね4ヶ月に1度は継続的に行われていること。
来日前は親と子どもが同居していたことを居住証明書等により確認すること。
・これらの支給要件への適合性を判断するために、提出を求める証明書類について統一化。
・日本国内に居住している翻訳者による日本語の翻訳書の添付を求め、その者の署名、押印及び連絡先の記載を求めること。
そして更に、ではこれが具体的にどのように運用されているのか。これまた情報の海の漂流者さんの子ども手当の濫給対策についてのメモページからの孫引きで申し訳ないんですが(だから言ってるでしょ、丸パクリだって)、↓にある厚労省が出しているPDFには以下のようなことが必要と書かれているそうです。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/osirase/dl/100402-1r.pdf
監護については、少なくとも年2回以上子どもと面会が行われていることとし、これをパスポートにより確認すること。
親と子どもの間で生活費、学資金等の送金が概ね4ヶ月に1度は継続的に行われていることを銀行の送金通知等により確認すること。
勤務等の別居の事由が消滅したときは再び起居を共にすることが必要であるという取扱いを徹底し、来日前は親と子どもが同居していたことを居住証明書等により確認すること
手当の受給のみを目的として監護や生計関係の実質を備えないと疑われる事案については厳正に対応すること。
そしてこれで迷った場合には
・厚生労働省に地方公共団体からの相談窓口を設けること。
・証明書の偽造等の不正があった場合や不正が疑われる場合には、地方公共団体間で情報を共有できるよう、都道府県を通じて国に報告を行い、国はこれを情報提供すること。
で書かれているような相談窓口に連絡するわけですね。
さて、ここで詐欺師の気持ちになって、児童手当と子ども手当、どっちがより国をだましやすいか考えてみましょう。まず、子ども手当の場合の(詐欺師にとっての)メリットとしては
- 架空の子どもの年齢が幅広くとれる
- 所得に関する書類がいらない
の二点が上げられます。ですが、1点目については、そもそも自分の子どもではない子どもを連れてきたりあるいはでっちあげたりするわけですけど、そういう子どもの年齢ってそんなに選べないもんでしょうか?
また、2点目についても、詐欺師さんってそんなに(合法的な)所得を持っていたら普通に働いて、詐欺とかしないと思うんですがねぇ。
そしてデメリットとして
- パスポートが確認される
- 銀行の送金通知が確認される
- 居住証明が確認される
- なんかじろじろ疑われる
- より詳しい人に相談されるかも
というデメリットがあります。
さて、今まで詐欺をしなかった人々が急に詐欺をするとしたら、それまでなかったメリットがあるからするものだと思うのですが、このメリットとデメリットを比較して、メリットってそんなに大きいですかねぇ?
しかも当然、その虚偽の申請によってお金を得ていたことがばれればそれは詐欺とかになったりするわけです。そして捕まった場合は当然日本人と違い強制退去処分となる。
……僕だったらもっと簡単そうなやり方探すことを考えるなぁ。
そもそも在日外国人になぜ子ども手当を支給するのか
さて、ですがもちろん、ここで考えたことはあくまで「子ども手当の不正受給ってむちゃくちゃ難しいからやる人はそんなに居ないんじゃないかなぁ」ということであって、「子ども手当の不正受給は絶対無理!」ということではありません(まぁ、そこまで悪知恵が働く人ならとっくに自民党政権時代の児童手当のころから騙しているでしょうが)。もし、無茶苦茶頭が良いか、こういう子ども手当の支給要件をパスできる虚偽の文書が無茶苦茶作成しやすい立場にいる人が、そしてわざわざこんな注目されていて面倒なものを詐欺の対象に選び、しかも国とかに連絡が行ってバレるリスクに怯えながら虚偽申請を行い、それが見事に役所を欺いて詐欺を働く可能性が、0%であるとは言えないわけです。
しかしまぁ、どんな福祉制度でも、それが欺かれる可能性は0ではありません。「Q.交通事故を0件にするには?A.制限速度を0km/hにする」というようなジョークがありますが、逆に言えば制度は運営される以上、そこにつけ込まれる場所は0にはならないわけです。
そこで参考にすべきなのが「リスク評価」という考え方で、これは「そのもの(制度であったり設備であったり)で間違いが起きたときに発生する損失×間違いが起きる確率」と、「そのものを運用することによって得られる便益」ということを比較して、後者が大きいときにはそのものを運用すべきという考え方です。
まぁ僕はこの考え方に全面賛同しているわけではありません(特に原発とかのような、そもそも間違いが起きたときの損失が致命的になるような場合についての考えが足りないと思います)が、少なくとも今回のケースのようなことについては使えるでしょう(不正受給が起きたとして、それが直接日本を滅ぼすわけではないし)。で、今回のケースでは、まず不正受給をするなら子どもはまぁ10人が限界でしょう(10人だったら可能性はほぼ0に近いと思うけど)から、大きく見積もって毎月13万円×不正を行う人数、そして確率はとても小さく、しかも不正を行う人数が多いという確率はさらに小さくなりますね。
ですが、では便益はなんでしょうか?今回の子ども手当が問題となるケースも、主にここに焦点が合っている気がします。要するに「日本国の少子高齢化を防ぐ対策のための子ども手当なのに、何で日本の外にいる子どもに子ども手当を払わなきゃならねーんだ!」という問いです。そして、このような問いがなかなか説得力を持つからこそ、厚労省の文書でも
また、平成23年度以降の子ども手当については、子どもにも日本国内居住要件を課すことを検討します。
ということが書かれるわけです。
ですが、実はその文の後にはこんな文もあります。
児童手当制度においては、1981年の「難民の地位に関する条約」の加入に当たり、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」の趣旨も踏まえ、他の国内関係法と同様、国籍要件を撤廃しました。それ以来、国籍にかかわらず、親等が日本国内に居住している場合には、その子について監護が行われ、かつ、生計を同じくしているという支給要件に該当するときは、その子が国外に居住していても、支給対象となっています。
「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」が何で子ども手当と関係あるのか、とりあえずまずは条文を見てみます。
日本弁護士連合会 - 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約
第2条
1 この規約の各締約国は、立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助及び協力、特に、経済上及び技術上の援助及び協力を通じて、行動をとることを約束する。
2 この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する
3 開発途上にある国は、人権及び自国の経済の双方に十分な考慮を払い、この規約において認められる経済的権利をどの程度まで外国人に保障するかを決定することができる。
第9条
この規約の締約国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める。
第10条
この規約の締約国は、次のことを認める。
1 できる限り広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し、特に、家族の形成のために並びに扶養児童の養育及び教育について責任を有する間に、与えられるべきである。婚姻は、両当事者の自由な合意に基づいて成立するものでなければならない。
2 産前産後の合理的な期間においては、特別な保護が母親に与えられるべきである。働いている母親には、その期間において、有給休暇又は相当な社会保障給付を伴う休暇が与えられるべきである。
3 保護及び援助のための特別な措置が、出生の他の事情を理由とするいかなる差別もなく、すべての児童及び年少者のためにとられるべきである。児童及び年少者は、経済的及び社会的な搾取から保護されるべきである。児童及び年少者を、その精神若しくは健康に有害であり、その生命に危険があり又はその正常な発育を妨げるおそれのある労働に使用することは、法律で処罰すべきである。また、国は年齢による制限を定め、その年齢に達しない児童を賃金を支払って使用することを法律で禁止しかつ処罰すべきである。
第11条
1 この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める。締約国は、この権利の実現を確保するために適当な措置をとり、このためには、自由な合意に基づく国際協力が極めて重要であることを認める。
ここら辺ですかねー。また、日弁連がこれに寄せているコメントを抜き出してみましょう
日本弁護士連合会 - 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第16条及び第17条に基づく第2回報告(仮訳文)
2. 外国人の地位、権利
外国人についても、基本的人権尊重及び国際協調主義を基本理念とする憲法の精神に照らし、参政権等性質上日本国民のみを対象としている権利を除き、基本的人権の享有が保障されている。我が国は、本規約で認められた権利を外国人にも等しく保障するよう努めている。概要は以下のとおり。
(3) 社会保障
国内に適法に在住する外国人に対しては、内外人平等の原則に立ち、国籍の別なく、所要の負担の下に、国民と同様の社会保障を実施するよう努めている。例えば、以下の各制度については、国籍要件が撤廃されている
(a) 国民年金(国民年金法)
(b) 児童扶養手当(児童扶養手当法)
(c) 児童手当(児童手当法)
(d) 特別児童扶養手当、障害児福祉手当、特別障害者手当及び経過的福祉手当(特別児童扶養手当等の支給に関する法律及び国民年金法等の一部を改正する法律)
(e) 国民健康保険(国民健康保険法)
3.家族給付
家族の生活の安定と児童の健全な育成を促進することを目的として、1972年1月、児童手当法に基づき児童手当制度が創設された。手当の受給者数は、1997年2月現在、200万1,864人である。制度の概要は、第1回報告で述べたとおりであるが、その後の改正で以下の点に変更がある(費用負担については従前どおり)。
(a) 日本に住所を有する者(国籍要件は1982年1月に撤廃された。)で、支給対象児童を監護し、かつ、その生計を維持する者に対して支給される。ただし、前年の所得が政令で定める額(扶養親族が3人の場合、所得239.6万円)以上の者に対しては支給されない。
さて、ざっくり言うとどういうことか。
「条約は、例え外国人であっても日本人と“同じ”社会保障を与えなきゃいけないよ。」
ということです。故に、子ども手当が「子どもを持つ人への社会保障」である以上、その人が外国人であっても、子ども手当を与えなきゃいけないのです。
でも、一体何で?
そこには大きく分けて
- 外国人も日本人と同じ負担を被っている
- そもそも子ども手当と、その前身である児童手当は、「子供を持つ人を助けること」そのものが目的であった
という、二つの理由があるのではないでしょうか。
1.外国人も日本人と同じ負担を被っている
「外国人も日本人と同じ負担を被っている」とはどういうことか。負担というとわかりにくいから単純化しましょう。「税金」です。
当然のことですが、日本に住んでいる在日外国人は、日本人と同じように様々な税金を払っています。そして、子ども手当というのは、その税金から再配分されているものなわけです。
ここで単純化して考えましょう。この日本に住んでいる人は外国人も含めてみんなが10万円ぐらい税金を払って、しかも全員子持ちで、3万円ぐらい子ども手当をもらっているとします。そうすれば、全員の負担は差し引き7万円で平等です。そこで、「在日外国人」全体でも、あるいは「子どもが外国にいる在日外国人」でも良いですが、その人たちには子ども手当を支払わない!と決めたとしましょう。そうなると、その人たちは三万円の子ども手当をもらえないですから、負担額はそのまま10万円になります。そうなると、「在日外国人」、あるいは「子どもが外国にいる在日外国人」というだけで、三万円の増税が起き、そして不平等が発生するはずです。まず、前者は明らかに「国籍による差別」であり、当然条約によって許されません。条約は、「参政権」(これについてはまた後日論じようと思います)などの特殊な人権についてはともかく、社会保障を受ける権利は「すべての人」に認めよと言っていますから。だから国籍条項の廃止は、条約に批准した以上当然なわけです。
では、「子どもが外国にいる在日外国人」はどうか?「国籍による差別ではないよ。『子どもを外国におく』ということを基準に考えているから」と言うかもしれません。ですが、それは本当に「増税」であったり「不平等」を生み出す根拠となり得るか?
2.そもそも子ども手当と、その前身である児童手当は、「子供を持つ人を助けること」そのものが目的であった
まぁ、元々子ども手当っていうのは、それが何を目的にするか、政策立案途中にも紆余曲折の議論をたどった訳です。ですが、正直そのころの議論なんか殆ど覚えちゃいない(笑)ので、ここは単純に法律条文に聞いてみましょう。法律さーん!
「はいはーい」
(目的)
第一条 この法律は、児童を養育している者に児童手当を支給することにより、家庭における生活の安定に寄与するとともに、次代の社会をになう児童の健全な育成及び資質の向上に資することを目的とする。
……あれ?「少子化対策」とかそういうことは一文も書かれていませんね。なんででしょー。
と思ってちょっと目を移してみるとこんな文が……
児童手当法
(昭和四十六年五月二十七日法律第七十三号)
昭和46年って言われても僕平成っこだからわからなーい(嘘付け昭和生まれ)なので西暦に直してみると……1971年!
これは第二次ベビーブームと呼ばれた1973年のおよそ2年前です。少子化問題が叫ばれ始めたのはおよそ80年代ごろから(まぁ、実際は少子傾向っていうのはそもそもずっと前から始まっていたんですが、問題化したのがそのころということ)ですから、この頃の作られた法律が「少子化対策」として作られるというのはちょっと想像しにくいですね。
つまり、はなから別に子育て支援、およびその前身である児童手当は、「少子化対策」を、その主目的には挙げていないわけです(まぁ、宣伝の過程で「少子化対策」という効果が喧伝されたことは否定しませんが、しかしそれを言ったらそもそも子ども手当が子育て支援になるかどうか?詳しくは子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)とかを参照して欲しいですが、社会学的には大いに疑問です……といいつつ実はこの本ちょこっと立ち読みしかしてない……後で読みますよー)。じゃあ何が目的か?それは法律に書いてあるとおりなわけです。「家庭における生活の安定に寄与するとともに、次代の社会をになう児童の健全な育成及び資質の向上」、つまり「お金がなきゃ健全な家族生活も送れないし子どもも健やかに育たないから、お金あげるよ」っていうことです。
だとしたら、その子どもが日本にいるか外国にいるかって、そんなに重要でしょうか?だって、厚労省が定めた文章に書いてあるとおり、今回問題となるのは、「生計を共にしている親子」です。そして、子どもは原則お金を稼げませんから、当然子どもの育児にかかる費用は殆どが親の負担になります。そのとき、その親に子ども手当が与えられなければ、結局子どもはお金が足りず、健全な育成が阻害されるわけです。とすれば、それは条約が定めている
1 できる限り広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し、特に、家族の形成のために並びに扶養児童の養育及び教育について責任を有する間に、与えられるべきである。
ということに背くことになります。
ここで、「外国が子ども自身に給付を与えている場合、親と子どもで二重給付を与えることになる。」という反論もあるでしょう。ですが、それはある種必然でしょう。子ども手当は子どもに対するセーフティーネットと言えますが、それがネットである場合、全ての子どもがネットに救われるためには、ネットをどうするべきか?多少他国のネットにかぶっていても、余裕を持ってネットをより大きく広げるべきなんです。そうしなければ、他国のネットにぎりぎりこぼれ落ちる人を救えなくなる。
具体的に言うなら、外国に子どもがいる在日外国人にも給付する場合は、「外国が子ども自身に給付を与える場合:二重給付―〃与えない場合:一重給付」になりますが、給付をしない場合は「外国が子ども自身に給付を与える場合:一重給付―〃与えない場合:給付なし」という風に、後者の子どもをネットから落としてしまうことになるわけです。
というわけで、現在、真偽は別として(というかはっきりデマと言ってさしつかえないんだけど)この世の中を漂っている「不正給付不安」(「体感治安」みたいなものと考えればよろし)に対し、「日本国内の子どもに給付を限定する」ということが叫ばれていますが、僕はそれに、以上の理路から反対します。
「機械的」という言葉について
さて……ところで、僕が毎日新聞の記事を読んでいたときに面白いなーと思ったのは、次の一文です。
母国に子どもを残してきた外国人にも支給されるうえ、人数制限もなく、機械的な線引きが難しいためだ。
ここでは役所に対し、理想的な対応として「機械的な線引き」というのが求められているわけです。
しかしよく考えると、もともとよくマスメディアなどで叫ばれてきた官僚・お役所批判には、そのかなりの部分に「画一的対応」や「お役所仕事」というものへの批判があったわけで、その反対として、「すぐやる課」みたいなフレキシブルな対応が賞賛されてきたわけです。
それが子ども手当になると一転して「機械的な対応を役所がやれるようにした方が良いよね」ということになり、フレキシブルさはむしろ発揮されるべきでないということになる。この論理の転向は一体何なんでしょう?
まぁ、思想的に言うと、そういう「機械的な対応こそが正義だ」というのは、「システム的(合)理性」と呼ばれて批判の対象になるわけですが、それをし始めちゃうともうホントになんの記事が分からなくなってしまうので自重します。
よく考えたら、本当に50人とかきちんと育てている在日外国人だったらどうなるんだろうね
あと、この記事を書いているときに、twitterで面白い呟きを読んだのでそれを紹介します。
http://twitter.com/han_org/status/12798798631
@han_org 国際養子554人。ぼくはフォスターチャイルド一人で躊躇してしまうが。なぜこれが批判的にしか報道されないのか不思議でしょうがないな。並みの人物ではないだろうに。 【日刊スポーツ】尼崎で韓国人が子ども手当て554人分申請 http://bit.ly/9xzhxX
これにはなかなかはっとさせられました。まぁ確かに通常の社会通念で言ったらそんな人はありえないんだけど、でももしそういう、日本で生活しながら、本気で養子を、500人は大いにしても50人ぐらい、自分の稼ぐ金で育てている人が居るとして、そういう人に対しどういう態度を日本が取るのか。「賞賛はするよ。でもそんな苦労を背負い込んだのは自分なんだから、自己責任で何とかしなよ」と言うのかどうか。あるいは「そんなものは家族ではない!」と突っぱねるのか。でも、だとしたらそもそも家族って何なんだろう?
参考リンク
文中で触れられなかったけど、この問題について書いている人たちを二三、僕の観測範囲から集めてみました。
la_causette: 養子縁組してまで子ども手当を受給するのは結構大変。
弁護士である小倉先生の記事。
id:thir(id記法が使えないことに悲しさを覚える……)さんの記事。確かに明らかにこのデマの根源には「外国人なら詐欺とかやりかねないよね」という差別感情があるんですよね。
これはちょっと前の記事だけど
2〜3日前から「これが情弱かw」って言うネタが続いていて、頭を抱えている。
わははw。いや全くだなぁ……
あとね、こういうデマに引っかかる人を見ているとなんか、思想的なこととは違うある傾向を見いだすんだよね。それは
沢山の情報を摂取出来ることこそが「情報強者」になる道だと思っている
ということ。
あのねー、前にマンガ嫌韓流を読んでいて大笑いしたことがあって、サンデーモーニングの報道を批判する場面なんだけど、そこの場面で、その報道を批判する主人公が、そのサンデーモーニングをなぜかビデオに録画していて、「なんでそんなの録画してたの?」と聞かれた主人公が「裏の番組をリアルタイムで見ているからな。」とか言うの。
でもさー……はっきり言って、あの時間帯の番組を、わざわざ裏番組が見たいから録画している感覚ってどーよ?思想傾向云々はともかくとしても、そんなアニヲタがアニメをチェックするようにおまえは全ての報道っぽい番組を録画しているのか?そして、それをコマ送りとかで見て、「ここは問題だろう」という場面とか「この報道は重要だ!」という場面とかを探しているのかぁ?
なんつーか……ほんと君らって、マスコミの模範的なお客様だよなぁ。今時暇をもてあましている老人でもそんな熱心にテレビとか見てくれねーぞ……
まぁ冗談はともかく、もちろん情報について考えるとき、最低限の情報がなければものは考えられない(僕だって今回の記事、厚労省が文章を公開していなかったり、情報の海の漂流者さんがそれをまとめていなかったりしたら絶対書けなかったし)わけだけど、でもその情報量って、殆どの場合、ほんとに少しで良いんだよね。それより重要なのは、その情報をいかに処理するか。例えば今回の記事で言うならばさ、どういう情報がより一次情報に近いのかとか、ある情報の中にある「事実」と「見解」を分けるとか、「リスク評価」みたいな物事を考える評価軸を知っておくとか、そういうことこそが重要、そんなことを、改めて感じたりしました。
Comment
しかも、もし事実が無くても制度が悪用可能な事は確かなわけだし
そこにあえて突っ込まない(爆笑)
いや〜自分の頭の中だけでは賢い方の意見は実に参考に成りますね(^O^)
なんつーか屁理屈ばっかで人を惹き付ける文章も頷かせる言葉も持ってない
あと文章の推敲が足りなくてダラダラ長すぎ、
どのスレ読んでもそんな感じでハッキリいってつまらない
人を批判して世の中を呪って自分では何も生み出さないまま年老いていく
そんな類のマイナスオーラに満ち溢れた人間なのは伝わってきた
今は金払って大学に飼ってもらえてるみたいだからいいけど
社会人になったらきっと苦労するよ
違うんじゃないかなぁ。
「子ども手当が不正に申請され、それが受理された事例」は“今のところ”一件も“明らかになって”ない
が事実じゃないかなぁ。
違うんじゃないかなぁ。
「子ども手当が不正に申請され、それが受理された事例」は“今のところ”一件も“明らかになって”ない
というのが事実じゃないかなぁ。
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