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今回の首都大生たちをリンチするのは、彼らと同じ穴の狢なのではないか

首都大生の「ドブス写真集」動画が騒動に 大学は事実把握、「大変遺憾」 - ITmedia News

首都大学生「ドブス」写真集 ネットに投稿、大ひんしゅく (1/2) : J-CASTニュース

まず、これがとてもひどい、やってはいけない行為であることを、最初に大前提として確認したいと思います。これから僕が今から述べることも、全てはそういう前提に基づいたことであり、むしろ、その前提をきちんとこの社会で通用するにはどうすればいいかということを、これから考えていきたいし、また考えなければならないと思うわけです。

さて、この大学生たちの行為は、ネット上でかなり非難されています。2chやはてなブックマークなんかでもこの人たちは非難の対象になり、彼らの実名が晒し上げられたり、彼らを大学から除籍させろなんていう声が、大学に電凸なんていう形で届けられているみたいです。それは、まるであたかも彼らが自分たちとは違うモンスターであり、そしてそのモンスターを社会から排除するのが、市民の努めであるかのように。

しかし僕は、このような行為をした大学生はきちんと注意すべきだと思うし、彼らにはきちんとお詫びを、特に被写体とした人たちにすべきだとは思いますが、しかしそれ以上の制裁、つまり大学から除籍したり、また彼らの氏名を晒し上げするなどというようなことをすることには、はっきりと反対します。そしてむしろ、そういう過剰な社会的制裁をしようと声高に叫ぶ人は、実は今回の学生のような人たちと同じメンタリティを持っているのではないかと考えるわけです。

つまり、結局2chやはてなで彼ら大学生を晒し挙げている人だって、「イタいことをやっている奴らを取り上げて虐める」という点で、それこそ「『ドブスを守る会』を守る会」になっているんではないかと、そう思うわけです。大体、容姿の変な人が取り上げられてる記事やら写真を取り上げて、それを掲示板にコピペしたりはてブしたりして笑いものにするっていうのは、それこそはてブや2chで散々やられていることな訳で、そのような感性の延長線上に、今回の学生の行為も存在するわけですから(もちろん、だからといって彼らのやっていることが許されるというわけではない)。

そしてそのような見方に立つならば、今回2chやはてなで学生に対しさんざんやられているリンチは、結局自分たちの中にあるこういう容姿差別に対し切断処理(集団全体が抱えているはずの問題の原因を、その集団の一部に求め、その一部を排斥することで、問題が解決すると錯覚すること)しているだけなんじゃないかとも、そう考えることもできるわけです。そのことが端的に分かるのが、Togetterでまとめられていたこの騒動に対するtwitterでの言及です。

Togetter - まとめ「ドブス写真集を作るその道程」

ここから、問題の動画を観た。まあ普通に気分は悪いが、この後2chから手酷く追い込みかけられるとこまでパッケージして現代アートだっていうんなら俺はまあ芸術としては認めるわ。つまり、これではまだまだ未完成だね。やりにげだから。http://togetter.com/li/29756

NaokiTakahashi

2010-06-17 07:06:18

まあ、写された女性は普通に訴えたら勝てそうな気がする。それと芸術的評価とは別なので、どんなに不愉快でも芸術的に価値を持ちうること自体は認めよう。その上で、芸術的価値を高めつつこの作家を何かヘコませてやりたいとは思っちゃうねえ。

NaokiTakahashi

2010-06-17 07:21:23

ここにおいては「彼らが叩かれれば、この動画には芸術的価値がある。そこまで行けば俺は認める」というようなことが言われています。まぁ、ここまで酷いことをのうのうと言えるのはこの人ぐらいだと思いますが、しかしはてなや2chで学生たちを叩いている人たちのなかにも、これと似たような思いを持っている人は多いのではないでしょうか。つまり、「彼らのやったことは確かに社会的に見れば許されることだ。だから、それは非難されるべきだろう。だけど一方で容姿によって人は人を馬鹿にしているなんていうことは事実なんだから、その事実を明らかにすることは芸術的価値がある。」というような考えを抱いている人は、実は多いのではないでしょうか。つまり、社会的には許されないこともあるけど、芸術的には許されることがあり、そしてそのようなことによって明らかにすべき真実もあるのだと、そういう考え方です。

ですが、実はこういう「社会的には許されない行為にも芸術的価値はある」と考えることこそが。まさしくこの学生たちがこのような行為をしてしまった根源にある考えなのです。Togetterには彼ら学生たちの言葉も載っていますので、それを読んでみましょう。

@JnAit 法的にはアウトやろ完全に。

Sguchisatoshi

2010-06-13 14:38:53

ヤクザって避けなあかんけどけど触れたいもの。精神障害者とかキチガイって避けたいけどそれを社会で言うたら不道徳と叩かれる。つまり避けられないもの。だから何とはまだ言えませんがそこらへんがポイントな気がする。

Sguchisatoshi

2010-06-13 16:10:49

@sccriabin 大半の人が引いてくれないとやってる意味はないなーと思ってる。これを笑う人はサイアクなニンゲンやからな。ただこの笑いが20年後には主流になると思ってやってる。

Sguchisatoshi

2010-06-13 20:32:08

このように、彼らも社会的・法的な評価からすれば自分たちのやっていることがいけないことであるのは分かっているわけです。ですが、むしろそのように社会的にダメとされている「タブー」にこそ「芸術的価値」は宿るから、自分たちはそのような「タブー」に触れるのだと、そういう考え方なのです。これは、まさしく2chとかで差別的なことが言われたりするのと同じロジックなわけです。そしてこのような考え方の背景にあるのは「タブーに触れる表現は全て正しい」とか「芸術的価値があることは、それだけで、それが一切社会的にはだめなことでも尊重されるべきだ」とする観念(イデオロギー)なのです。

ですから僕は、このような行為をきちんと批判したいのなら、今すべきことは、むしろ彼らの行為を反面教師にして、そのような「タブーに触れること」や「芸術」といったものが全て正しいと思っている自分たちの観念を疑い、批判することではないかと考えています。ところが、そのようなことは自分の観念を批判することにつながるからみんなしたくない。だからこそ、切断処理的に学生を過剰にバッシングすることによって、そのような自らの心の闇を見ないようにしているのではないでしょうか。

そうではなく、そのような自らの内なる差別をきちんと見つめ、それを批判していくこと。そしてそれにより、「人を容姿によって差別することは、たとえそれが芸術であっても許されてはいけないことだ」というメッセージをきちんと鍛えていくこと。そしてそのような過程を経た上で、学生たちを「除籍処分」や「晒し上げ」という権力によって押さえつけるのではなく、きちんとそのような「なぜ君たちの行為がいけないのか」という言葉によって注意していき、反省を促すこと、これこそが、この酷い行為を断罪し、二度と起きないように、私たちがすべきことなのではないでしょうか。それをせずにこの学生たちをリンチすればそれで済むんだと考えることは、結局彼らのやっていることと同じ自己保身でしかないのではないか、僕は思うわけです。

(※なお、このようなことを書くと、それこそ一部の「芸術」絶対主義者からは、「『反面教師になる』という効果があるのだから、彼らの行為に価値はあったのでは?」というようなことが言われるかもしれません。ですが、そうなれば結局「『反面教師』としてタブーに触れることは全て正しい」とか「『反面教師』として芸術は全て正しい」ということになってしまいます。つまり結局芸術こそ全てであったり、タブーに触れることは正しいというイデオロギーを強化するものにしかならないのです。そうではなく、もし容姿差別とか、その背後にある「タブーを笑うこと」や「芸術」を批判したいのだったら、きちんと僕のように、「それはいけないことだと思う」ということを言葉で書くべきなのです。それをせずに「芸術でしかできないことがあるんですぅー」とか言って社会的な場でコミュニケーションすることから逃げることは、きちんとこれからも社会的に批判していかなければならないでしょう。)

追記1(2010/06/18 1:26)

返答

nonsense 2010年06月18日 00:04

晒し上げの正義はともかく

僕は素直に正直に気分がものすごく悪いし、晒し上げがいくとこまでいっても仕方ないと思いますけど。

「あなたの」気分が悪いからこの行動はいけないんですか?違うでしょう。この表現は、この表現によって馬鹿にされる人がいて、その人の尊厳を傷つけるものだからよくないわけです。そして、尊厳を傷つけるという点では、「晒し上げ」も同じような行為なわけです。

彼らは既に他人の尊厳を傷つけられた人なのだから、尊厳を傷つけられても仕方ないという意見もあるかもしれません。しかし、「○○な人は尊厳を傷つけられても仕方ない」ということを一旦認めてしまったら、その○○は、それを考える個々人の(芸術的)感性によって如何様にも変わってしまうでしょう。そしてその結果として彼ら学生は「不細工な人は尊厳を傷つけられても仕方ない」という考えを抱いてしまったわけです。

そうである以上、私たちは彼らのような学生に対抗する意味でも「どんな人に対してでも、その人の尊厳を傷つけてはいけない」と言わなければならないと、僕は考えています。そして僕はその観点から、学生たちを晒し上げることを非難しているわけです。

kamm 2010年06月18日 00:43

>彼らも社会的・法的な評価からすれば自分たちのやっていることがいけないことであるのは分かっているわけです

>きちんとそのような「なぜ君たちの行為がいけないのか」という言葉によって注意していき、反省を促すこと

矛盾したことを書いていると、主張に説得力がなくなってしまいますよ。

あのー、きちんと文章読んでます?彼らは「社会的・法的な評価からすれば自分たちのやっていることがいけないことであるのは分かっている」けれど、でもそのようなものであっても「タブーに触れる」という「芸術的価値」はあるのだから、やっていいのだと考えているのではないかと僕は述べているわけです。つまり、社会的・法的な評価軸とは別の評価軸に基づいて、自分たちを正当化しているわけです。

だからそこで僕は「タブーに触れる、芸術的価値があるからといって、やってはいけないことがある」という風に、社会的・法的な評価軸とは別の評価軸に基づいて自分の行動を評価することは間違っていると主張しているわけです。

これのどこに矛盾があるんでしょう?いつのまにか、日本では「矛盾」という言葉の用法が変わってしまったのでしょうか?

あ 2010年06月18日 00:48

彼らは現在の日本の法律に触れる

我々が節度を持って彼らを非難する事は法に触れない

この差は大きい

しかし法律の元にあるのは「倫理」なわけです。そして今回の学生たちとリンチをしている2chやはてなの人たちは、同じ「倫理」によって批判されうるのではないでしょうか、ということをこの記事では述べました。

「差」が問題ではないということは既にnonsense氏へのレスで述べたので省略します。

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5/23に第十回文学フリマに行ってきたよ

http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20100523

僕が小説を書いた「サボイ」という同人誌が頒布されるので、その様子を見に行ってきました。おかげさまで、結構売れたそうです。

そしてついでに文学フリマの会場を色々回ったら、結構色々おもしろいものがあったので、それらを紹介した後、全体の感想なんぞをちょこっと述べます。

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5/17に「どうする!?どうなる?都条例──非実在青少年とケータイ規制を考える」という集会に行ってきたよ

5/17に「どうする!?どうなる?都条例──非実在青少年とケータイ規制を考える」という集会が豊島公会堂でありまして、で、それを聴いてきたわけです。

といっても、どーいうことが話されたかっていう詳細なレポートとかは一々僕が書かなくてもネットで検索すれば

都青少年健全育成条例改正案:不明確な基準論議、表現の自由どう守る - 毎日jp(毎日新聞)

「どうする!?どうなる?都条例」:事実上の「非実在青少年」表現規制か──都条例改正案に批判相次ぐ (1/2) - ITmedia News

「どうする!?どうなる?都条例」:「ゾーニングの顔をした表現規制」「社会の自立の、行政による他殺」──宮台教授 (1/2) - ITmedia News

「非実在青少年」規制反対派がシンポジウム、宮台真司教授らが問題点を指摘 -INTERNET Watch

都の青少年条例改定 漫画家らが反対集会/表現の自由 規制やめよ - しんぶん赤旗

なんていう感じで記事がありますし、twitterでも

Togetter - まとめ「どうする!? どうなる? 都条例―非実在青少年とケータイ規制を考える イベント実況」

なんていうまとめもある訳だからそれはしません。また、「そもそも非実在青少年規制って一体どんなものなの?」っていうようなことも、まぁググればすぐ大体分かることなので論じません。今回の記事では、イベントを聴いていたときに僕が思ったどーでもいい様な感想を箇条書きにして、あと非実在青少年規制とかについての僕の考えを、最後に述べます。

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まおゆうはなぜ批判されるべきなのか2:イデオロギーとしての「まおゆう」

前回の記事:まおゆう( #maoyu )はなぜ批判されるべきなのか1:肯定的意見のまとめ - 見たり聞いたりしたこと

さて、いよいよ僕自身の批評に移っていくわけですが、その前に、そもそも「まおゆう」ってどんな感じのお話なのか見ていきましょう。

といっても、まおゆう賞賛派の中には、まおゆうは13スレッド費やして書かれた小説なんですが、「13スレ全部読まないとダメだ」という人が居ますが、断言しましょう。それは間違いです。むしろ、13スレ読んだとしてもあなたは1スレ目読んだときと同じ感想しか持ち得ません。賛否抜きにして中立的に考えても、「自分がこれを読んで面白いかどうか」を判断するには1スレで十分ですし、「この物語の流れを理解したい」という風な場合でも、1スレと4スレ、そして10〜12スレあたりを読めば十分です。あと、この物語の本質をよりきちんと批判的に理解したい場合は、13スレ(最終スレ)も読んだ方が良いんですが、正直それはおすすめしません。なぜなら、13スレは、このまおゆうの本質を表すと同時に、もっともダメダメなスレでもあるからです。まぁ、僕の場合、「全部読め」という煽りに乗って全部読んだからこそ、そのダメダメさがよりキツく感じられただけで、そこだけ読んだら別に普通なのかもしれませんが……

まぁとにかく、この物語のエッセンスはとりあえず1スレ目にありますので、まずはそれを見ていきましょう。

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まおゆうはなぜ批判されるべきなのか1:意見のまとめ

twitter見ている方はまぁご存じかと思いますが、実はちょっと前から僕はずーっとある小説に対して批判をしていました。

http://maouyusya2828.web.fc2.com/

正式名称は、「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『「断る!』」だそうで、2chで書かれた小説です。

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